まれびと[#「まれびと」に傍線]の信仰は、多くの古典のみか、後代久しく、中には今に至るまで、民間伝承に其姿をとどめてゐる。古事記の例を見ると、霊物と威霊と二通りの形に、一つの影向《ヤウガウ》を伝へわけた跡を見せてゐる。前段後段に、原因関係を示す形をとつてゐるが、実は一つ事の語り分けに過ぎない。而も日本紀では、これを単なる海原を照し来る光り物、即、外来魂として取り扱つてゐる。此点に於いては、極めて都合よく、まれびと[#「まれびと」に傍線]観念の種々な過程を説明したものと言へる。第二の日本紀の例で見ると、異人の旅は、如何なる邑落をも、障碍なしに通過することの出来た事を示してゐる。更に、男性の祖霊の形が椎根津彦であり、弟猾《オトウカシ》は祖霊の女性なるもの――兄猾との対照から男性と見て来てゐるのは誤りで、当然この伝への出来る訣があるのだ――として、一対のまれびと[#「まれびと」に傍線]の形を見せてゐる。そして、考妣二体の神が呪詛にあづかる点をも具へてゐる。播磨風土記を見ると、この例は極めて多いが、其中の一つを引いたので、最適切に、彼岸の国土から農村行事の時を定めて、一体の主神及び其に伴ふ群行神のあつたことを、更に伝説化してゐるのだ。而も、春の訪れから分化した、苗代時の来臨を示してゐる処に注意せねばならぬ。
かうした常世・まれびと及び此土の生活の関聯した例は、数へきれない程だが、その合理化を経た結果、多くは、最重大なまれびとの職分に関する条件を言ひ落してゐるものが多い。異人の齎した詞章が、この民族の文学的発足点をつくつたことを、此から述べようと思ふ。即、常世ものゝ随一たる呪詞唱文に就いての物語である。
第一に明らかにして置かなければならないのは、異人は、果して異人であるか、と云ふ事である。言ふまでもなく、さうした信仰を持つ邑落生活の間に伝統せられた一種の儀礼執行者に過ぎない。この行動伝承を失つたものが、歴史化して行く一方、行動ばかりを伝へたものは、演劇・相撲・射礼《ジヤライ》などを分出して行つた。その行動伝承に関与するものは、即、此土の人間で或期間の神秘生活を積んだ人々であつた。即、主神となる者は、邑落の主長であることもあり、又宗教上の宿老であつた事もある。更に其常世神に伴はれる多くの群行神は、此聖役を勤めることに依つて、成年戒を経る訣であつた。さうして、其行事の中心は、呪詞を伝承し記憶を新にさせることにあつた。而も其詞章は、天地の元《ハジメ》、国の元から伝はつてゐる、と信ぜられた一方、次第に無意識の変化改竄を加へて、幾多の形を分化した。又季節毎に異人の来訪を欲する心が、週期を頻繁にした。その都度、扮装《ヤツ》した神及び伴神が現れて、土地の精霊に降服起請を強ひるのが詞の内容であつた。此が即ことゞひ[#「ことゞひ」に傍線]で、後世の所謂いひかけ[#「いひかけ」に傍線]・唱和及び行動伝承としての歌垣のはじめに当る。このことゞひ[#「ことゞひ」に傍線]に応へない形式からしゞまの遊び[#「しゞまの遊び」に傍線]――後の※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]見《ベシミ》芸――が起つて来、更に、口を開いて応へる形――もどき芸――が出来て来る。この両様の呪詞が、一つは所謂祝詞と称せられるものゝ原型であり、応へる側のものが寿詞《ヨゴト》と称する、種族・邑落の威霊の征服者に奉ると云つた意味の寿詞――賀詞――となつて行つたのである。
この呪詞が、常世の国から将来せられ、此土のものとなつたと考へ変へられて行く様になつた。が、その威力の源は、常世にあるといふ記憶を失はなかつた証拠はある。のろふ[#「のろふ」に傍線](呪)が、もと宣言であり、同時に精霊に対する呪詛であつたのが、呪詛の一面に偏して行つたのと同じ動きを見せてゐる語に、とこふ[#「とこふ」に傍線](詛)なる語がある。その語根とこ[#「とこ」に傍線]は、尠《すくな》くともとこよ[#「とこよ」に傍線]の語根と共通するものであり、又さう考へられてゐたことも事実だ。つまり、宣言・呪詛両方面に、常世の威霊が活動したことを示すのだ。更に、祝詞を創始した神として伝はる思兼[#(ノ)]神は、枕詞系統の讃美詞《ホメコトバ》を添へた形で、八意《ヤゴヽロ》思兼[#(ノ)]神、又常世[#(ノ)]思兼[#(ノ)]神と称へられてゐた。八意は呪詞の数の限定せられてゐた時代に、一つのものを以て幾つかに融通した為、一詞章であつて数種の義を持ち具へてゐる事を欲した為の名である。さうした事の行はれるのは、一に常世の威霊によるものとせられた。で、この神の冠詞として、常世なる語をつけたのである。かういふ宣詞とも名づくべきものゝ古い形が、今日では痕跡も残存してゐない。非常な分化を遂げた後のもので、而も其用途さへ著しく変化した祝詞か
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