口誦する事によつて、祝詞全体の効果を持ち来すもの、と考へられる様になつた。此諺が、次第に意味の全く不明な呪術的なものと、社会知識的なものとに岐れて来る。そして、後者は、教訓的な意義を持つて来るが、此は必しも新しい事ではない。而も、さうした諺自身が既に、叙事詩の影響を受けてゐる。言ひ換へれば、其発生した呪詞時代を過ぎて、叙事詩時代に入つても、尚新しく出来るものがあつて、叙事詩の影響を受けたからだと云つてよい程、歴史的の内容を伴うてゐる。或は、更に古く脱落してゐたものに、叙事詩的な背景を附加して来た部分もある様だ。最異風な諺を挙げて見れば、地名・人名に絡んだ枕詞の古形をなすものが其で、昔は国讃美《クニボメ》・人讃美が、呪詞の精髄であつた事を示してゐる。一方、さうした諺から、所謂|謎《ナゾ》が生れて来る。日本文学に於いて、割合にかへりみられてゐないのは、古代に於ける謎の類だ。此は、大方の為に、問題を提供して置きたい。
諺の様式は、大体に偶数句を以て出来たもので、此から言はうとする歌と、大体に違ふ点は、問答唱和風でないことである。さうして、歌は主として、奇数句に傾くことだ。
此小さな論文を以て、私の師匠柳田国男先生の同時に、同じ叢刊の中に発表せられる論文に接続させようと試みたのであるが、其結び玉になるべき歌の事をお話する前に、もう余白が無くなつた。其で、此処には極めて概念的に書き添へておくことに止めたい。
諺の場合と同じく、歌は、呪詞から変化した叙事詩の、最緊密な部分と目せられる部分で、恐らく、古い叙事詩に含まれて居なかつたものが、次第に挿入せられて来たのだらうと思ふ。伝承の都合からして、問答唱和の形を残して居らないものも多いが、実は、さうした形を採らねばならなかつたのである。併し、根本的には、諺の形式の叙事詩の中で発達したものが、歌である。而もさうした要素は、既に呪詞の中にも見えてゐた。所謂天つ祝詞の部分に於いて、発唱者と被唱者との間に問答が行はれた事は、祝詞に於ける所謂、返し祝詞或は覆奏《カヘリマヲシ》の存在によつて知る事が出来る。延喜式の祝詞で見ても、所謂称唯(ヲヽトトナフ)の部分は、やはり此形である。かうして発生したものが、呪詞の叙事詩化して行く道筋に、次第に勢を得、分化して来る。だから、歌をうたふ事に、叙事詩及び呪詞を唱へるのと、同じ効果を予期する事が出来たのだ。其に不安を感じる場合には、其歌の属してゐた叙事詩を口誦すれば、的確に効果の挙るものと思うたこと、早く説いたとほりである。かうしたかけ合ひを以て出発した歌が、かけ合ひに進むと同時に、一人の層畳的発想、即、組歌形式をも採つて行く様になる。併し、歌の独立する径路に就いて、一面の原因ではあるが、最適切なものを挙げる事が出来る。巫覡の神懸りによつてする舞踊は、呪詞或は叙事詩を唱へてゐる間に、舞人自ら其主たる神或は人となつて歌ひ出す。即、一種の詠《エイ》の形をとる事によつて、発達して来る。此は、歌の発生の一部の原因であるが、主としては、歌が出来て後、独立した歌の製作に向ふ動機を、促す理由になつてゐる様である。
◇
日本文学は、少なくとも私の申してゐる時代には、文学ではなかつた。例外なく宗教上の儀礼であつた。異人の詞を伝承すると云ふ意義に於いて、或期間持続せられ、其間に固定し脱落し、変化改造が加つて来た。其上に、歴史意識が加つて、叙事詩が出来、其断片化したものが諺及び歌になり、更に歌の方面に、非常な発達を遂げることになつた。結局最初の文学は、律文であつた。けれども今日の感覚を通して感じる時は、最初は、寧、散文に近いと思はれる呪詞があつた。其が、叙事詩になつて、純粋な律文と称すべきものになつた。呪詞の中に祝詞・寿詞・鎮護詞の区別があり、更に祝詞に対しては、原形に近い宣命が、対立する様になつた。今謂ふ所の祝詞よりは、寧、祝詞らしい要素は、宣命に多く含まれてゐる。
歌に於いては、掛け合ひの形から出発して小長歌になり、其は二部に岐れるところの小長歌の形から、全然変化を重ねて行く。我々が、最初の観察の対象に置くのに便宜な形は、片哥及び旋頭歌であるが、此が直《ただち》に日本の歌の原形だ、と云ふ事は出来ない。
われ/\の文学は、此国土以前からあつたのだから、原始と云ふ語を用ゐるのは、絶対に避けなければならない。長歌が次第に長くなり、これに創作意識が加つて来ると共に、一方声楽上の欲求から、長歌の中に短歌が胚胎せられて来る。其短歌成立の動機は、同時に片哥の中にも、催されてゐた事だ。此最新しく、而も近代に至るまで、わが民族の生活に最叶つてゐる様に見えた短歌が、明らかに形式を意識せられて来たのは、飛鳥末から、藤原へかけてのことらしい。
私の論文に於いて、いま少し力を入れたかつた部
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