にも、耳を傾けなければいけません。花を我々の好みの対象として扱ふ場合、十分技術を人工的に加へてもよいと思ひますが、飽いたり嫌になるといつた飽満感を与へ過ぎるのはいけません。あまり飽満に過ぎ、崩れかゝつてゐるのは、ある点からはよいやうだが、やはりよくないことです。その花のよさといふことを、どこに標準をおいたらよいかは、我々素人の言ふ事ではありません。あなた方花に深い関心をお持ちになる方々の考へるべき事です。まづ考へられる事は、我々箱庭を拵へる、さういふ風に写真で写した通りに拵へるのが花の理想であらうかといふ事で、それは容易に否定は出来ないのですが、勿論、写真を作る事は芸術を作ることにはならないのです。さうすると、まう一つ我々の仲間ではかうした事を考へる。我々の眼に写つて来るものが全部這入つてくるのではなく、三つか、四つの眼につくものをもつて、それがとりまいてゐる全部を表すのだ。我々は花を活ける時そのつもりでゐたらよからう。花と交り合つてゐる自然を表す。言うて見れば、簡素に自然界を代表したものを作るのだと、まづ此頃の人なら考へるでせうね。花の表すものは自然界のとりまいてゐるものを表すので、
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