が、平安朝になると派手になり、山や木の外に仙人や唐子などを飾つてあつたといひます。神の降つて来られる山車を拵へて神を迎へた訣で、植物を飾つた山が、標山だつたのです。
日本人は神を招き寄せるに、神がいらつしやる目じるし[#「目じるし」に傍点]をたてなければならぬものと思つてゐた訣です。神をして、自分と似てゐるといふ類似感を起させる為に、人形とか銀月を立て、その他に花を飾つて神の目じるしにした訣です。銀月の場合は月の姿なのです。お考へになれば、われわれの周囲に同様なことがお思ひ浮びになることでせう。祭りの時神を招き寄せる目じるしが花で、これはまつりの時にはなくてならないものなのです。だから、花の咲かないものでも、祭壇に飾るものは花と言つてゐます。このやうに、飾つた花が神と深い因縁があつたことを振り返つてみる時、立花・生花の類に、我々は美術から得る印象に似たものを感じますが、まう少し宗教的な意味を加へて考へた方が、花が生きてくるのではないかと思います。
ところが、今迄の話とは別に、我々はいつも花に対して(花のすきでない人は居ないでせうが)無貪著な人の語――不自然な花をつくり出すといふ非難――
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