のです。昔は日本訓みに訓んだでせうが、平安朝時代にはかう音読してゐます。古くは標山《シメヤマ》と言つてゐたものでせう。近代になるとこれを出さないことになつたのですが――。大甞祭の時には、近代になつてもその為事をする国を都のあるところから東西二つに分け、代表者を出すので、而もその国のうちから特殊な国郡村まできめ、これが特別な為事――お米を作り、御飯を炊き、お酒を醸す――をするのです。かうしたまつりを行ふ御殿を大甞宮といひ、これは背中合せに建てられて、二つありました。この事を精しく言ふとむつかしくなりますので言ひませんが、祭りが近づくと、標山を他からひいて来て両方に立てる。それまでは、郊外の北野の斎場《サイヂヤウ》といふ処にあるその山を、大甞宮までひいて来るのです。片方を悠紀《ユキ》の山、今一方が主基《スキ》の山なのです。これは、祭りの時我々が引き出す屋台・山車・鉾・山みたいなものです。恐らく神が占めて居られる山といふ事で、標山《シメヤマ》と言つたものでせう。神が其処に降りて来られて落ち着かれ、それから神をそれにお乗せしたまゝ大甞宮まで御案内する事になるのでせう。その標山も大昔は訣りません
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