のです。昔は日本訓みに訓んだでせうが、平安朝時代にはかう音読してゐます。古くは標山《シメヤマ》と言つてゐたものでせう。近代になるとこれを出さないことになつたのですが――。大甞祭の時には、近代になつてもその為事をする国を都のあるところから東西二つに分け、代表者を出すので、而もその国のうちから特殊な国郡村まできめ、これが特別な為事――お米を作り、御飯を炊き、お酒を醸す――をするのです。かうしたまつりを行ふ御殿を大甞宮といひ、これは背中合せに建てられて、二つありました。この事を精しく言ふとむつかしくなりますので言ひませんが、祭りが近づくと、標山を他からひいて来て両方に立てる。それまでは、郊外の北野の斎場《サイヂヤウ》といふ処にあるその山を、大甞宮までひいて来るのです。片方を悠紀《ユキ》の山、今一方が主基《スキ》の山なのです。これは、祭りの時我々が引き出す屋台・山車・鉾・山みたいなものです。恐らく神が占めて居られる山といふ事で、標山《シメヤマ》と言つたものでせう。神が其処に降りて来られて落ち着かれ、それから神をそれにお乗せしたまゝ大甞宮まで御案内する事になるのでせう。その標山も大昔は訣りませんが、平安朝になると派手になり、山や木の外に仙人や唐子などを飾つてあつたといひます。神の降つて来られる山車を拵へて神を迎へた訣で、植物を飾つた山が、標山だつたのです。
日本人は神を招き寄せるに、神がいらつしやる目じるし[#「目じるし」に傍点]をたてなければならぬものと思つてゐた訣です。神をして、自分と似てゐるといふ類似感を起させる為に、人形とか銀月を立て、その他に花を飾つて神の目じるしにした訣です。銀月の場合は月の姿なのです。お考へになれば、われわれの周囲に同様なことがお思ひ浮びになることでせう。祭りの時神を招き寄せる目じるしが花で、これはまつりの時にはなくてならないものなのです。だから、花の咲かないものでも、祭壇に飾るものは花と言つてゐます。このやうに、飾つた花が神と深い因縁があつたことを振り返つてみる時、立花・生花の類に、我々は美術から得る印象に似たものを感じますが、まう少し宗教的な意味を加へて考へた方が、花が生きてくるのではないかと思います。
ところが、今迄の話とは別に、我々はいつも花に対して(花のすきでない人は居ないでせうが)無貪著な人の語――不自然な花をつくり出すといふ非難――
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング