断してゐましたのに、今では一人々々が判断しなければならなくなり、日本人の中には、全く拠りどころを失つてしまつた人もゐる訣です。併し、こゝで段々秩序が回復して参りました。どうかして我々は早く新しい秩序を復活したいものです。かうなつたら今日からでも、我々はよいもの・美しいものを子孫の為に残さねばならないので、一番善いものを標準にとらなければならないのです。それを標準として、これからの生活をたてゝゆく必要があるので、その意味に於て、華道が盛んになれば、それだけ、国民の美を欲する心が活動して来るわけです。
神さんが空から来られるまつりが、あらゆるまつりにある。まつりに招かれる月の神が、芒を飾つた――又古くは芒と銀月とを飾つた島台を目当に里の家に来られる訣でした。ほかのまつりの時も見ておいでゞせうが――、まつりの時大きな幟が立ち、又、盆の時高灯籠をたてます。盆の灯籠は今でも祖先の聖霊《シヤウリヤウ》が、それを目当に自分の家に還つて来られる。それを待ち迎えて祀るのだと言ふ風習の意義を、昔の人は薄々ながら知つてゐたのです。これは日本の古代のまゝの信仰です。盆棚などもさうで、御聖霊が間違へられるといけないから別に仏壇から離しておくのです。これは島台の上に銀月や人形を飾るのと同じことです。盆棚には、茄子・胡瓜の類でこさへた馬がおいてあるでせう。その他、おまつりの時の幟・旗がさうです。あの場合、その先に木の葉(杉の葉・榊の葉)がついてゐます。ついてゐない場合もありますが、そんな風に変化したのです。これがついてゐるのは、神の目じるし[#「目じるし」に傍点]として葉がついてゐる訣なのです。これを目処に四月の釈迦誕生会(やうかび――八日日)には、つゝじ[#「つゝじ」に傍点]の花をつけます。神が招かれてやつて来られるとみてゐるのです。神を誘ふ為で、譬へば雷除けの避雷針と同じ事になるので、譬喩としてはをかしい話ですが、精神は同じでせう。日本人は植物の枝・花・葉によつて神を迎へ、宴会の庭から座敷へ誘つたのです。そのずつと古い例を一つ引いてみようと思ひます。今の天子が即位なされた時に、大甞祭が行はれました。これは年々の新甞祭と同じ事で、その御代の一番初めの新甞祭の事を大甞祭といひます。この時に種々厳粛な儀式が行はれましたが、その一つにかういふ事が昔はありました。「標《ヘウ》の山《ヤマ》」といふものな
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