たので、これを飾るのは、それを目あて[#「目あて」に傍点]にしてお客が来られる様に飾つておく訣なのです。普通の宴会だと前から招待して連れてくるから、別に遠くから目あてにくる必要はない。日本の宴会は大昔から行はれてゐました。さうしてその宴会の精神は元は、もつとはつきり[#「はつきり」に傍点]してゐました。昔は神を迎へたのです。さう言ふことは近代の宴会でも察せられますが、昔はずゐぶん変つてゐたのでせう。神が天から降りて来られる時、村里には如何にも目につく様に花がたてられて居り、そこを目じるし[#「目じるし」に傍点]として降りて来られるのです。だから、昔の人は、めい/\の信仰で自分々々の家へ神が来られるものと信じて、目につくやうに花を飾る訣なのです。併し、神によつて供へる花が変ります。花のない常磐木の枝や、薄の穂なども、目につくやうに立てます。場所によると人間の姿をしたものをたてなければならなくなつた処もあります。唐子や仙人、又は、獅子や狛犬の像をたてるといふ風に変つてきます。お月さんの時は昔からきまつて芒をたてる。大体芒だけでよいわけです。併し、その時に、昔程芒の中に銀紙ではつた月の形を出しておいたことがありました。つまり、島台の上にまう一つ月を飾るので、此処があなたをお迎へしてゐるところです、といふ訣です。昔は非常に素朴なものでした。江戸に吉原、京都に島原、大阪に新町といふ風に、大きな遊廓でも、時々のお祭りを農村風に行つたものです。八月の十五夜になると月見を行つてゐます。遊廓の月見は派手なもので、島台の上に芒と銀月を出した有様の絵が残つてゐます。又さう言ふ風な小唄もあります。
遊廓ですらもさうした古風な生活を残してゐたのですから、まして、田舎では古風な生活を沢山残してゐる訣です。そして、その生活を守り続けてゐるうちに、頑固に固定して、どう言ふ訣でするのかわからないものが出て来ます。その為やめてしまふといふこともある訣です。日本人がどんなものをよいとするか、善悪の標準の目処がたつて来、又美しいものゝ目処が出来たので日本人の好む美しさの標準が、芸術的な美とは別に段々と樹立して来たのです。つまり、芸術家でない人が選択し、段々拵へ上げて来た訣なのです。今まで疑ひもなく過して来た。それが、戦争によつて大きな標準が何処かへ行つてしまつた。一番悲しい事は、今迄皆相談して善い悪いを判
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