十巻は此紀の巻数を示したのである。まづ書名と巻数とに、模倣の痕が見える。
日本紀は両漢紀に較べると、日次を立てることが、ずつと詳細であるが、やはり帝紀を書いて、自然に伝・表・志の要素を含んで居る。だから、編年とは言ふでふ、寧、正史の本紀の、独立・敷衍せられたものと見てもよい様である。此点も、二書の俤を写して居るのは察せられる。
其で、私は、日本紀は漢紀・後漢紀を学んだ「紀」の体の歴史、言ひ換へれば「伝」の形式を具へた物と思ふ。けれども、漢紀の序を見ると、紀は帝紀の意義から出てゐるものと考へられて居る様である。即、前漢歴代帝紀と言つた用語例に、はいつて居るものと思はれる。偶《たまたま》、伝書の様な姿に見えても、実は独立した成立を持つものと見てよいのである。東観漢紀に於ける紀[#「紀」に白丸傍点]の用法も、其である。ところが、漢書・漢紀の関係を、史記及び三氏の伝と同様に見る風が生じて来た。袁宏の後漢紀になると、紀綱[#「紀綱」に傍点]・綱要[#「綱要」に傍点]などの聯想から、伝の意義を考へて来てゐる趣きが、其序に見える。併しながら結局、紀の伝と違ふところは、本書から独立して、本末の関係のない様な姿をとる事であつたらしい。奈良朝に於ける成語・術語の用法には、漢土の意義に比べて、誤用がかなり多くある。けれどもかうした正史とも言ふべき欽定の書に粗漏があるだらうか。大体「紀」なる体の意義を知つて、命《なづ》けたものと思はれる。
さすれば、両漢紀に対して、漢書・後漢書(?)が持つてゐたやうな関係が、日本紀と其以前にあつたわが国出来の或書籍との間に、あつたらうと言ふことも言はれると思ふ。
重刻両漢紀後序に、
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其事、咸《ミナ》編年に萃む。故に紀と曰ふ。其事、伝・表・紀・志に分つ。故に書と曰ふ。
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とある。そこで、順序から言へば、日本紀以前に、正史体の「日本書」と言ふものがなければならぬ。さうして、其日本紀は、むざうさに謂《い》へば「日本書」の伝であり、其「帝王本紀」を中心として、編年体に「日本書」を整理したものでなくてはならない。私は久しく「日本書」の実在について疑念を放さなかつた。尠くとも、両漢書の例で見れば、百二十巻位の巻数の正史がなくてはならないのである。史実はしば/\吾々の合理的想像を超越して、意外な大きな事実を包んで顕れて来る
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