してゐるのである。又、わが国固有の風習だと信じてゐる人もあるが、何れにしても、日支両国の古代に、同じやうな民俗があつたといふことは、興味もあり、難かしい問題でもある。此場合、正しい解釈が二とほり出来るはずである。
桃並びに其に似た木の実の上に、かうした偉力を認めてゐる民族は尠くない。だから、支那と日本とで、何の申し合せもなく、偶然に一致したものと考へるのが一つ、其から今一つは、わが国の歴史家が想像してゐる以上に、支那からの帰化人の与へた影響が多かつたところにある。
其は、此までの学者が書物の上の知識を、直ぐさま民間の実用に応用する事ができもし、行《ヤ》つても来たと考へてゐる学問上の迷信が、目を昏まして、真相を掴ませなかつたのであるが、たくさんの帰化人の携へて来たものは、単に、文化的な物質や有効な知識ばかりではなかつた。其故土で信じ、行ひして来た固有の風俗・習慣・信仰をも其まゝ将来して来た。彼等の帰化の為方が、個人帰化ではなく、団体帰化として、全村の民が帰化したといふ様な場合が多かつたのであるから、彼等は憚る処なく、其民俗を行ひ、信じてゐた事が考へられる。文化の進んだ帰化人の間の民俗が、
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