た。
民謡のはじまりは、さうした断片の詩にある。
かうして、荒い心も、歌で和んで来るうちに、地方々々の妥当性――地名・神名――を加へて来る。それでも、類型を脱しない、創作意識の出発点からしてない、抒情化した叙事詩にすぎないものである。それが、次第に、創作動機を刺戟して、文学の芽生えが、民謡のうちに現れて、まだ類型風でありながら、いくぶんの個性を出すようになつた。
巻十三の組み歌のうちに、さうしたものが、大部分を占めてゐる事を推断するのは、必、正しからう。是(巻十二)に短歌として扱はれたわけも、こゝにあると見るのが、ほんとうだと信じる。さうした種類の歌が、ほかにも見える。
巻二の、
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石見の海|都農《ツヌ》の浦わを……いや高に山も越え来ぬ。夏草の思ひしなへてしぬぶらむ妹が門見む。靡け。この山。
  反歌(二首略する)
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人麻呂の歌としての伝説を信じても、是歌が、なほ、民間に流布したものと信じることは、他の人麻呂集の歌が、民謡として行はれた、と見えるのから推しても、また、「異本の歌」や「一云」とある、異伝を考へても、是歌の謡ひ広められたあとを見
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