に区別のつかぬまで、よい影響を自由にとり入れてゐる。個性から出て、普遍の幽愁を誘ふものである。後期の優美歌になると、具通の美と官覚とは陳《の》べられてゐるけれど、個性の影は技巧の片隅に窺はれるばかりになつた。「百済野のはぎが古枝に、春待つと、来居《キヰ》し鶯、鳴きにけむかも」の歌は、純な拍子で統一してゐる様だ。併し「来居《キヰ》し鶯」の経験ではなくて、空想である事が、内容の側から不純な気分を醸し出してゐる。
かうした空想は、鳴き絶えぬ千鳥の声を夜牀に聴きながら、昼見た「楸《ヒサギ》生ふる清き川原」を瞑想した態度が、わるく変つて来たものである。此瞑想・沈思と言つた独坐深夜の幽情をはじめて表現したものは、高市[#(ノ)]黒人であつた。
奈良朝後半期には、長歌は既に古典化しきつてゐた。憶良の社会意識・生活呪咀などを創作した長篇なども、気魄の欠けた、律動の乏しいもので、情熱を失うてまで音脚を整へようとして、延言を頻りに用ゐるなど、態度のわるさが、すべてのよい「生活」を空な概念にしか感じさせない。反歌に移ると、生れ易《かは》つた様に自在で、多少の叙事式構想をも、律化したものが多い。
だが其短歌と
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