如きも、新古今に出た物は、ある一方の立ち場からは優美・豊満・閑雅・濶達など讃辞を尽しても足りないほど、貴族の風格のよさを極度に示してゐる。しかし生気は欠けてゐる。たけ[#「たけ」に傍線]はあつても、彼自身の生活を游離した、律動から出てゐる。雑然たる習作集には、性格や、境遇・時代などが不用意の間の自由な拍子に沁み出てゐる。家隆・定家の作物の如きも、習作集は極めて平凡で、選集には、頗《すこぶる》、特色を見せてゐるのは、そこに原因があるのであつた。
けれども、定家の作物は、後代程絶対価値が認められ、どんなものでも、自由に採られることになつた。八代集の後の選集が採つて来た定家の物には、伝襲的に描かれた面目と違つた、定家が出て来てゐる。此は技巧に悩んだ後、晩年になつて、平易で自在な境地に達したものとも言へる。が、さう見るよりも、自由な習作の中に現はれてゐた定家のよい姿なのであつた。
私は、此解説のむやみに長くなつたことを恥ぢながら、まだ書いてゐる。此過剰は、土岐さんを困らせ、出版元を苦笑ひさせるに、もう十分過ぎる。家隆と定家との比較を論じないで、一挙に新続古今・新葉辺に到達する幅飛びを試みなけれ
前へ 次へ
全63ページ中56ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング