になつて来たのは、一つは武家興隆の時勢だつたからでもあるが、題材や、見方・感じ方の、幾分型に入らない処を珍重せられたのであらう。頼政の面目をあげたのは、経信の系統に薬を強くした絵模様や、絵詞見立ての趣向歌の印象の新鮮な点が、さうした潮先に乗りかけた為である。
西行にもさうした渾沌たる実生活味や、誹諧趣味・口語式発想・趣向歌等がある。さうしたおし窮つた処から、西行を脱け出させたものは、女房歌のねばり気と、廻国修行から得た生活の種々相の理会や、孤独感に徹して起る人生の普遍観である。歌を通して見た西行には、仏教の影響は、人々の考へてゐるよりは、わり合ひ深く潜んでゐる。却つて、当時――平安末・鎌倉初め――の概念式な釈教歌・讃歌の類を作つた公卿たちよりは、囚れぬ境涯を示してゐる。学曹でなかつた為もあらう。けれども、此頃から頭を擡《もた》げ出して、武家時代の最後二百年を除く外は、伝統的に文学及び倭学継承階級となつた所の隠者の生活に近い形で暮して居た事が、主な原因であらうと考へる。地方の武家に、短歌や、倭学の伝へられたのは、もう此頃からの事実であつた。西行が殆ど完成し、芭蕉に飛躍させられて、誹諧に移
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