植せられた内容のさび[#「さび」に傍線]、形式のしをり[#「しをり」に傍線]は、実は女房歌の模倣を経て、達し得た「細み」であつたのだ。此が西行の幽情に、誹諧の「さび」よりも、曲節や、弾力のある所以である。
此細みを抽き出した原因の一つに、数へ残しがある。其は雰囲気の力である。当時の京都の文壇主義の影響である。経信に著しく見えた幽情が、公卿の流行となつてゐた仏教凝りや、釈教歌・法楽の歌などに溢れた仏教味に合体した為、と言ふ様な速断は許されない。併し、かうした間の生悟りから、万有無実相・庶物一如の義を曲解敷衍して、
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心なき身にも、あはれは 知られけり。鴫たつ沢の秋の夕ぐれ(西行)
見渡せば、花も紅葉も なかりけり。浦の苫屋の秋の夕ぐれ(定家)
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など言ふ様な物の出来る機運は醸《かも》されて来た。悪い傾向だが、やはり一種の単純化である。
勅撰集の出る毎に、非難者の出る風は、後拾遺集に経信が試みた、と言はれてゐるが、此などは早いもので、其後、いつもあつたことである。さうした論難の癖は、恐らく、平安京の初頭にも既に、行はれたらうと思はれる――或は其
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