のである。
こゝに自然と起つて来るのは、文学動機の洗煉である。印象の再現若しくは、空想の具体化能力や、技巧の近接努力が進んで来る。叙事詩化し、心理の表現よりも描写に傾くが、ともかくも発生以来わるい道を通つて来た日本の抒情詩は、業平・小町につけられた方角から、活路を見つけ出した訣であつた。和泉式部の様な情熱家の作物は、さすがに不純を一挙に捲き飛した佳作が尠くない。内生活から、美化するに足るものを見出す様に向いて来てゐるのである。唯、女房歌集は、全体を叙事的連作歌集として味うて行くのが、ほんとうの見方ではなからうかと思ふ。
かうして展開して来た女房歌、其影響を受けた抒情詩は、緻密な感情の写実をする様になつて行つた。俊成女・式子内親王に代表せられた平安末・鎌倉初めの恋を主題とした歌である。だが其にも、語又は句の上から部分的に放射する情調によつて、しなやかで、ねばり強く、美しくて、纏綿する様に、技巧が積まれてゐた。それによつて、叙事式表現の上に気分効果を添へようとしたのである。語句の持つ聯想や、音韻の弾力を、極度まで利用してゐるのだ。併し、かけ語・縁語・枕詞・序歌・本歌などで、幻象を畳み絡める
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