分の贈答や述懐の短歌の製作動機を、あはれに書く風が出来た。かうした例には、或は他人が書いたのかと思はれるほど、脚色が加つてゐるのさへ見える。多くは事件に客観が出来ない処から、自身書きながら、事実を修飾・誇張して、物語風にしたてゝ了うたのである。
而もものゝあはれ[#「ものゝあはれ」に傍線]を知り、色をこのむ[#「色をこのむ」に傍線]――好もしい状態に男女関係を処理すること――のが、紳士・淑女の理想主義とせられた時代である。で、かうした小説と記録との間を行く抒情式な日記を書いた者及び其書き物は、宮廷生活の間にもてはやされたのである。此態度は、短歌集の中にも入りこんで来た。女房の歌集に見えた「はしがき」に、後人のは固よりだが、当人自身の潤色・見てくれを交へてゐることは考へてかゝらねばならぬ。私は平安京の中期以後の歌集殊に女房歌集から、個人の伝記を引き出さうとすることに、危さを感じてゐる。「はしがき」にあはれ[#「あはれ」に傍線]を競ひ、単なる座興のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]をも有意義化したものが、必あるであらう。前にも述べた和泉式部の歌集をはじめ、さうした色あひは、大なり小なり見える
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