同化しきれない不純なものを交へてゐる。客観し得ないで、小我を出してゐる。或は釈教歌などの影響かも知れない。此歌と、第四の歌とは、細工物らしいが、大体に正しい方へ歩みよつてゐて、鎌倉以後の模倣者によい類型を残した。
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三島江の入江のまこも。雨ふれば、いとゞしほれて 刈る人もなし(新古今)
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は写生ではないが、趣きからは完成してゐる。此歌と「朝戸をあけて見るぞ寂しき傍丘《カタヲカ》の楢の広葉にふれる白雪」とは、別趣の物だが、細みと、静けさと、温みとは共通してゐる。
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今宵 わが 桂の里の月を見て、思ひ残せることのなきかな(金葉)
花の散るなぐさみにせむ。菅原や、伏見の里の岩つゝじ見て(経信集)
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ところが、此歌などになると、少し虚《キヨ》してゐる様な歌口である。病的ではあるが、一種の単純化はある。かうした点も、彼の、他人と違ふ処から来るのであらう。経信の歌風を、よいにつけ、悪いにつけ、全体としてとり入れてゐるのは、西行法師である。
俊成も、その幽情を目がけたのは、此人の影響を意識してとり入れてゐるの
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