歌仙の歌
業平の生活は、小説だといふ訣で、伊勢物語からひき放して考へようとしても出来ないまで、彼《かの》書が完全に其一生を伝奇化して了うてゐる。私は、張文成・宋玉・登徒子等の一人称発想法を採つた遊仙窟や、楚辞末流(此は既に伝来してゐたと信じる)の艶文学が、奈良の貴族や、学者を魅した力は、平安の都にも持ち越されてゐたものと思ふ。それで業平一代の自叙伝と思はせる企図を持つて、伊勢物語は書かれたものであらう。三人称風の叙事詩や、それから散文化した説話の表現法の定型を採りながら、叙事詩以来の聞き癖を利用した痕が見える。特別な知人がする物語でなければ、語り手・話し手の自叙伝と感じる風が離れない為に、しらばくれた[#「しらばくれた」に傍線]様な気分をさせる「昔男ありけり」といふ型で、十二分に効果を収めたのである。
業平の生涯は平安の色好み(大体後世のすゐ[#「すゐ」に傍線]に近い)の前型とまで考へられて来てゐるけれども、二条后・斎内親王との交渉がなかつたとすれば――或はまる/\の伝説だつたとすれば――、惟喬親王が、業平に美しい感激を発せしめる境遇に沈淪せられなかつたとすれば、業平は記憶せられなか
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