の物から、更に唯の歌にすら、さうした言語情調を好んで入れる様になつた。
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呼子《ヨブコ》鳥。うき世の人をさそひ出でよ。入於深山《ニフオジンセン》。思惟仏道《シユヰブツダウ》 良経(月清集)
時により、すぐれば 民のなげきなり。八大龍王。雨やめたまへ(実朝)
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此等はまた仏語を国語脈にとり込んでゐるが、此などは極端な例である。連歌の一体とすら見る事の出来る程、思ひきつた試みである。
金葉・詞花の時代は、短歌の創作動機が鈍つて、或は、連歌が室町を待たずに勢力を持つに到つたかも知れない状態になつて居たらしい。歌学・歌論は喧しくなつても、文学製作階級は、短歌に興味を失ひ出して居た。其をともかく盛り返したのは、俊成の努力である。武家や、僧家に歌人の出たのも、短歌が公家を去らうとしてゐた形勢を示してゐるのであらう。
千載集は、ともかくも、平安中期以後の歌風の変遷を、一つ処に集めて見せる様な歌集である。ある側は極めて複雑化し、ある側の人々は「たゞごと」をしか述べて居ない。一代前の新派も旧派も、茲《ここ》には肩を並べて居る。而も、俊成・西行等の当代の代表歌風も見え、直に迫つてゐる新古今時代を待ちあぐんだ人々の作さへも含めて居るのである。
新古今集の時代は、女房が文学上の実力を失ひかけて居る事が、まづ目につく。才女と言はれた宮内卿の如きは、新古今の発足点に低回してゐた。天分はあつても、変化は出来なかつたらしい。此等の基礎は、此女房の腕を振うた所と一致してゐる。経信以来の絵様見立てを、動的に描き改めた。さうして、其画面を美しくする者は、其物を目的にして、其を以て、彩り絵の美しさの上で変化を示さうとした。情景の変化や、時間の推移の静かな調和であつた。総べて、美の思ひがけない発見を目がけた。静的な美を動的に、平凡を趣向によつて、美を衝かうとした。
だが、此種の作物には、中心たる自然の変化に関心しすぎるから、矛盾や、曲解の露れる不安がある。絵様を浮世画に替へれば、「冬の田は、山葵《わさび》おろしの様に見え」など言ふ川柳の穿《うが》ちになつて了ふのである。此は感覚的現実たるべきものに、空想的誇張を前提としてゐるのだ。美しさには心惹かれても、結局、美の根柢が自然を「我《ガ》」で変造したものなのである。たとひ、誇張がなくとも、自然から人為に似た現象を抽
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