て彼等の主張と喰ひ違ふことなく、而もかなりの値打ちある作物を出した。無名氏等の歌に現れた「細み」は、彼に明らかにとり入れられてゐる。尤《もつとも》、あゝした態度からは、わるい作物も生れないはずはない。けれども、忠岑はそうした処から、深く印象する歌を残したのだから、天分の豊かであつたことが思はれる。
畢竟古今集は、万葉集の細みから筋を曳いてゐると言うてよい。さうして其が二様に現れた。一つは、細みを正しく育んで行つたものであり、一方は、赤人風の優美を目標にして、当世好みの題材と調子とを扱はうとしたのである。後者は古今の正調であり、まづは文学態度として見る事の出来るものである。が、作物の価値は却つて、しづかな情熱を以て技巧を突破した形の前者の方にあつた。而も此間に介《はさ》まつて、女性の歌は、亦変つた道を採つた。謂はゞ万葉以前からの贈答歌の態度が伝つてゐて、而も宮廷の女房生活に伴ふ、しらけた遊戯分子が加つて来てゐるのだ。
かうして、古今の歌風と言ふものが出来た。此で短歌がともかくも文学と立てられ、其本質も、ほゞ成立した様なあり様である。此から後は、古今選者たちの立てたものを絶対に信頼して行つた後進者の、纔《わづ》かづゝの時代的の※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《アガ》きを見るに過ぎないのである。
後撰集には、其でも古今に対する競争意識が見えてゐる。拾遺集になると、古今を理想とし出した痕があり/\と見える。後拾遺集には、もはや行きづまりが見え出した。唯、宮廷其他の女房生活の頂上とも言へる時代で、男性の文学動機は鈍つて来たのに、散文のみならず、短歌にも自在をふるまふ様になつた。贈答或は恋歌に限られてゐても、其感触は洗煉せられて来てゐる。が其も見渡しての話で、一つ/\の歌に就て言ふと、寂しまずには居られない。和泉式部は、其中ではづぬけてゐる。小町よりも、情熱的にさへ感ぜられる。

     六 短歌改新に与つた人々

曾根好忠は、歌の固定した事を其野性の敏感でとりわけ早く嗅ぎつけた。さうしてその抜け路として、表現法を易《か》へようと試みて、単語や句法の上に苦心をした。其処に印象の鮮やかな、新しげな作物も生れて来た。けれども、真の内容や趣きの発想と言ふ点には心づかなかつた。然し、よい作物になると、無自覚にではあらうが、「細み」が十分に出て来てゐる。短歌の固定する毎に
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