、新語を以て其を救はうとする試みが、歴史的にくり返されてゐる。其次には、珍らしい材料――寧《むしろ》、名詞――を局部的にとりこむ事が行はれてゐる。此が「歌枕」と称せられるものだが、歌の全内容となる題材としてゞなく、修辞上の刺戟の為ばかりに使はれた様である。
かう言ふ処へ、平安京に於ける広い意味の芸術の天才らしい人が出て来た。桂大納言源経信である。彼は当時の文学芸術のすべてに達したと言はれた人である。殊に琵琶では、桂の一流を開いた人であつた。「君子器ならず」と言ふが、天才の直観力も、才能の専門的固定を救ふものである。今存する彼の作物は、あまりに尠い。此から彼の才分をきめるのは気の毒な気もする。が、偶然を考へることの出来ない個性の透徹した作品がある。
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朝戸あけて 見るぞさびしき。傍丘《カタヲカ》の 楢の広葉に ふれる白雪(千載)
ひた延《ハ》へて守《モ》る標《シ》め縄の たわむまで、秋風ぞ吹く。小山田の庵(続古今)
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後のは桂の里での作であるが、四五句の続きのあやふさが、其写生に徹して居ない事を見せて居る。唯《ただ》二三句の緊張は、観照の把持力を思はせる強さである。前の歌になると、細みが展開せられて来てゐる。楢の木は作者の誤解かも知れぬが、広葉と言うた処から見れば、木立ちを見渡したのでなく、一本の木の局部に目を注いでゐるのである。私はかうしたものが、尚あつたのであらうと思ふ。此歌の如きも経信集にはなくて、千載集にのみ見えてゐるのから見ても、此想像の余地はある。一体、経信には、新しい趣向の歌が多くて、其が本領と思はれたらしい。
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山守りよ。斧の音高く聞ゆなり。峰のもみぢは、よきてきらせよ(金葉)
深山ぢにけさや出でつる。旅人の笠白たへに雪つもりつゝ(新古今)
(家集……ぢを……雪はふりつゝ)
夕日さす、浅茅が原の旅人は、あはれ、いづくに宿をかるらむ(新古今)
早苗とる山田の筧《かけひ》もりにけり。ひく標《シ》め縄に 露ぞこぼるゝ(新古今)
大井川 いはなみ高し。筏士《いかだし》よ。岸の紅葉に あからめなせそ(金葉)
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此中、一と五は、平安末の趣向歌の先駆で、古今のものとは別途ではあるが、正しい道ではない。第三の歌も追随者の多かつた型であるが、まだ趣きは失はない。併し「あはれ」が、
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