なべに、日は暮れぬ と思ふは、山の陰にぞありける
鶯の鳴く野べごとに来て見れば、うつろふ花に、風ぞ吹きける
[#ここで字下げ終わり]
などが其例である。小町の「風よりほかに」の歌も、古今には無名氏の作物として居る。万葉の「太み」は、竟《つひ》に継承する者がなかつた。ますらをぶり[#「ますらをぶり」に傍線]を叫んだ真淵以後も、さうした試みをした人がない。調子を高くするだけなら、釈教歌から出た平安末・鎌倉初の歌人たちにもぼつ/\ある。調子を壮《さか》んにする事で、太みある発想を導くことは、「細み」の場合の様には行かない様だ。
五 古今集の歌風
古今の作家では、四人の選者のうち、壬生[#(ノ)]忠岑が一等天分が豊かな様だ。貫之は、一種の改革家で、要領を掴む才能は持つて居た。稍《やや》物になりかけた国語を以てする文章を、小ざつぱりした感じのよい、段落の短いものにしたのも、彼の為事らしい。歌の方面では、上流の重くるしい調子の、変化のない内容をやゝ軽くて明るいものにした。山部[#(ノ)]赤人の態度を、新しい歌のとるべき道とした。自然から「美」を覓《もと》めないで「美」に似た事象のある所とした。理想の「美」を絵画に据ゑてゐた。が、其も墨書きや彩《ダ》み画《ヱ》の絵巻若しくは、屏風の構図であつた。自然は、平凡な絵模様に描き直された。彼等の空想に浮ぶ自然は類型に過ぎなかつた。併しさうした「美」以外に、問題となる自然はなかつた。黒人以来の自然描写の態度は、彼等の心には影もさゝなかつた。彼等は調子の上に、自負を持つて居たらしい。朗らかで軽くひきしまつた、滑らかでさつぱりした長閑さが、彼等の新しい歌の生命を扼《やく》する音律であつた。
四時の交替と自然の変化の関係に興味を持ち過ぎた傾向は、万葉集の巻八・巻十にも既に見えてゐるが、情熱がよく解決した。古今集以後、暦日と自然現象の矛盾に興味を持ち過ぎて、幼稚な構想を、明るい調子に託して歌ひあげたものが多くなる。抒情の歌で見ても、選者等の目ざす処は、淡泊な感情を、例の調子で拘泥なく歌ふことであつた。生活から游離した心境を娯しむことが、彼等の生活の上の「美」であつた。貫之の歌は、其理想通りの形をとつた。かうした態度からよい作物の現れよう筈がない。貫之の歌は、名のみ高くて、実の其に添はぬ物であつた。
忠岑だけは、其仲間に列つてゐて、大し
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