のらしくなつた。鹿児島との交渉が密になり、江戸へ朝聘使を送る様になつて、やまと[#「やまと」に傍線]音楽と共に、新しく亦、舞ひや踊りが這入つて来た。さうして、第二期の整理が行はれたものと見てよい。沖縄の踊りを通じて見られるものは、此三種の融合し、或は混淆したものである。が、其特色とする所は、手の使ひ方・上体の動し方・足の踏み方・踊りの間のきまり方などに、現れ過ぎる程現れてゐる。此が固有のふり[#「ふり」に傍線]である。
支那舞踊の影響は、ありさうには思はれない。同様に、能や、歌舞妓の所作事などゝの交渉も、予断せられてゐるほどにはない、と見てよからう。
組踊りでは、出来るだけ優雅にといふ用意を、次第に加へて来た為に、劇舞踊としての卑しさは、尠い様である。かうして、ふし[#「ふし」に傍線]踊り以来の品格を崩すまいとしてゐるのである。だから、能と所作事・景事との間にある程の違ひはない、と言うてよい。此も亦、組踊り成立の当初から、かうではなかつたと思ふ。

     五

組踊りの語原として信じられるのは、かうした劇舞踊を一組として勘定して、譬へば「五組」「三組」など言ふところから、演奏番組の
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