人の面目とする風をなさしめた。此が、其等貴族士分の郷貫にまで及んで、遂に所謂男逸女労の外貌を、全く整へさせる方に導いたのである。
かうした人々の芸能と関聯してゐるものは、地方の間切々々特有の曲節・舞踊を伴うた詞章であつた。其が、次第に宮廷に這入つて行つたのである。此が所謂「ふし」なるものゝ、正式な意義である。地方の国邑名の冠するふし[#「ふし」に傍線]に伴ふ踊りが、其間切や、村の雑多な舞踊の中から、精選せられたものなることも考へられる。
今の琉歌の発生は、速断は出来ぬが、伊波さんの研究によると、「おもろ双紙」にも、その俤はある様である。巫女の呪詞に伴ふ鎮舞《アソビ》から出て、小曲の舞踊の出来る径路は知れる。長章・小曲を踊る行事が、次第に祝言の座の余興となつて来る。この小曲が、地方の巫女の口から、相聞唱和の歌となつて出て来る。恩納節その他が、「恩納なびい」の発唱によるものとする説も、概念的には、琉歌成生・展開の暗示となる。古いおもろ[#「おもろ」に傍線]の類のあそび[#「あそび」に傍線]と、新しいふし[#「ふし」に傍線]の踊りとの区別は、踊りての上にもあつた。女性の舞踊から出たふし[#「ふし」に傍線]は、男を原則とする様になつた。女性の踊りは其伝襲に重きを置く物にのみ残つた。又男舞ひを模倣する意義に於て、遊女の間にも行はれた。
おもろ[#「おもろ」に傍線]は後代程、まづ国王の果報を、次に村邑の幸福を祈る様になつてゐる。其表現法は、此あそび[#「あそび」に傍線]の首里宮廷に対する誓約を兼ねて、奏せられたものなる事を示す。此が短章となつて、恋愛味を離れて来ると、やはり国王の為の賀寿に傾くのである。さうでなくとも、恋愛詞章なら、恋愛詞章なりに、其効果は、国王を祝福すると考へる信仰があつた。国邑の古い神事歌以来のものだからである。かう言ふ祝賀の趣きに専らになつてゐるふし[#「ふし」に傍線]踊りに、大きな影響を与へたものは、千秋万歳を祝する芸能の渡来である。日本《ヤマト》の為政者や、記録家の知らぬ間に、幾度か、七島の海中《トナカ》の波を凌いで来た、下級宗教家の業蹟が、茲に見えるのである。
念仏宗の地盤の、既に出来てゐた上に、袋中《タイチユウ》の渡海があつたものと見てよい。浄土宗の布教は、実に行き届いてゐた。地理的に階級的に、忘れられた未信者のありかを、追求して止まなかつた。此宗
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