、星の光りにも値せぬ事を恥ぢるし、又沖縄人の嫌ふ、他府県人のいらざる世話やきにもなつて、島の彼方で苦笑する人々の、俤の浮ぶのも堪へられぬから、さうした引用や、伊波さんから貰うた、沢山の抜き書きなどは、勝手ながら下積みにさせて頂いて、今の場合、忙しい概念だけを綴る事にした。

     二

沖縄の村々・島々の祭儀には、現に原始演劇的要素――世界民族一般に窺はれる――を示すものが、まだ/\沢山に残つてゐる。時を定めて来臨する神、及び、その迎へに出る神と信じられてゐるものは、皆巫女の仮装する所である。さうして又、其が巫女のやつし[#「やつし」に傍点]姿だ、とさへ知つてゐる処も、沢山ある。或は既に、巫女自身の資格において、さうした神事を行ふと考へる地方が、却つて普通になつてゐる。
そして、此等はいまだに、演劇としての立ち場に入つたものとの自覚なしに、行はれてゐる。併し、其中から分化した演劇は、夙くから意識せられ、今も行はれてゐる。此が、都では「組み踊り」、地方《ムラ》では「村踊り」と言はれてゐる、二種のものである。
玉城《タマグスク》朝薫の天才が、組踊りの芸能を、享保年中になつて、創造したとは信じられない。又、先進日本の能・歌舞妓が、島の宮廷の式楽に飜作せられたものとも思はれない。さうした「忽然」を考へる事の、不都合な幾多の例蹤を、私は見てゐる。猿楽能の、元曲から案出せられたものとする説などが、其である。縷説は避けるであらう。が尠くとも、長い種族生活過程の顧みを閑却したもの、と言ふことは出来る。
首里宮廷を考へるのに、京都の禁裡を思ひ浮べてはならない。又、江戸柳営を頭に置いても、比論は成り立ち難い。まづ大々名の家庭に、将軍家の生活気分を加味した位の考へ方が、ほんとうだらうと思ふ。其ほど、気易い処があつたのを思はねば、民間風と、宮廷風との交渉ぐあひが、察せられない。離宮に作つた瓢を、那覇の市に売り出して、王様瓢《ワウガナシチブル》の名を伝へた王もある。城内に大穴を穿つて、そこに優人を喚んで、遊楽に耽つた城人《グスクンチユ》なる、大奥の女中めいたものもあつた。かう言つた宮廷と、里方との交渉は、首里の芸能と、地方《ムラ》の民俗芸術との間に、相互作用を容易ならしめたのである。
宮廷において、王の為に、楽を奏し技を行ふ事を、貴族・士分の副職分といふ様に考へ、男の芸能に精出して、上流
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