旨が純化するに従うて、他派の例を逐うて、奴隷階級の布教者が出来た。これが、浄土の念仏《ギヨウギヨク》聖である。時には、新興の禅宗の組織を移してゐた部分では、行者《アンジヤ》と言うたらしい。此念仏聖なる布教家も、日本古来の巡遊伝教者のとつた方法を守つてゐた。其は布教と同格に、祝福芸能を行うた事である。唯念仏になると、祝福の外に、悪霊退散を迫る舞踏を持つ様になつてゐた。だから、念仏聖とは謂へ、千秋万歳としての歌詠も、舞踏も演じるのだ。又精霊の物語や、踊り神中心の、神送りの乱舞をも行うた。浄土其他の念仏に伴ふ、成仏得道の過去生譚をも語つた。其に連れて、いつか人形を舞はす事さへ、招来した様である。更にくづれては、やまと[#「やまと」に傍線]の京のあはれな草子物語の筋を、語つた事もあるらしい。其上、現世の為の訓喩めいた文句さへ、唱へる様になつた。沖縄の念仏者伝ふる所の歌謡は、宗教家のものらしくないものも、だから残つてゐるのである。
此等の語つた浄土念仏の説経語りは、やまと[#「やまと」に傍線]の神道説経を、南島までも搬んだ。釜神の話(組踊りでは、花売の縁)などが、其である。後には、継子の苦難を題材とする、京太郎《チヨンダラ》を多く演じた為に、演者自身の祖先が、やまと[#「やまと」に傍線]の京から流離した、京の小太郎だとさへ考へられた。春は、万歳・京太郎を以て、島中を祝福して廻つた。今こそ、行者村は特殊待遇を享けてゐるが、盛んに渡つて来た当時は、必、村邑の豪家に、喜び迎へられたものに相違ない。
今日行はれる若衆踊りを見ると、凡そは万歳系統のものである。だから、一行中の若衆の演芸種目は、略、察せられる。踊るものは、主として若衆であつたのであらう。江戸期に近づくに連れて、さうした形を整へる事になつて来たもの、と思うてよい様だ。
念仏者の行ふすべての行儀・芸能を籠めて、念仏《ギヨウギヨク》と称へ、盂蘭盆会から初つて、初春の祝言にまで、用ゐられる様になつたのを、多少、劇的の進行を備へたものであつた。貴人・士分の者まで行ふ様になつた。此が、村をどりの古形なる、にせ念仏である。似せ[#「似せ」に傍点]と解すれば、念仏もどきの芸能といふ事になるが、私は、伊波さんの賛成を得て、若衆《ニセ》念仏だと考へて居る。これは、朝薫出現の前にも言うた語であらう。組踊りと念仏との関係を、更に内容に見る。万歳
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング