て、天子様が人を諸国に遣して、穀物がよく出来る様にせしむるのが、食国の政である。処が穀物は、一年に一度稔るのである。其報告をするのは、自ら一年の終りである。即、祭りを行ふ事が、一年の終りを意味する事になる。此報告祭が、一番大切な行事である。此信仰の行事を、大嘗祭《オホムベマツリ》と言ふのである。
此処で考へる事は、大嘗と、新嘗との区別である。新嘗といふのは、毎年、新穀が収穫されてから行はれるのを言ひ、大嘗とは、天子様御一代に、一度行はれるのを言ふのである。処が「嘗」といふ字を宛てたのは、支那に似た行事があつて、それで当てたのである。新嘗の用語例を蒐めて考へて見ると、新穀を召し上るのを、新なめ[#「新なめ」に傍線]とは言へない。なめる[#「なめる」に傍線]といふ事には、召食《メシアガ》るの意味はない。日本紀の古い註を見ると、にはなひ[#「にはなひ」に傍線]といふ事が見えて居る。万葉集にも、にふなみ[#「にふなみ」に傍線]といふ言葉があり、其他にへなみ[#「にへなみ」に傍線]と書かれた処もある。
今でも、庄内地方の百姓の家では、秋の末の或一日だけ、庭で縄を綯《な》ひ、其が済むと、家に這入る
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