。此を行ふには、庭へ竈を造つて、其日一日は、庭で暮すらしい。日本紀の古註に見える庭なひ[#「庭なひ」に傍線]と言ふのは、其であらう。此事は、考へて見ると、一種の精進で、禁慾生活を意味するのである。だが、庭で縄を絢ふから、庭なひ[#「庭なひ」に傍線]だとしてはいけない。此には、何かの意味があつて、庭で縄を綯ふのであらう。
にはなひ[#「にはなひ」に傍線]・にふなみ[#「にふなみ」に傍線]・にひなめ[#「にひなめ」に傍線]・にへなみ[#「にへなみ」に傍線]、――此四つの用語例を考へて見ると、にへ[#「にへ」に傍線]・には[#「には」に傍線]・にふ[#「にふ」に傍線]は、贄と同語根である事が訣る。此四つの言葉は、にへのいみ[#「にへのいみ」に傍線]といふことで「のいみ」といふことが「なめ」となつたのである。発音から見ても、極近いのである。結局此は、五穀が成熟した後の、贄として神に奉る時の、物忌み・精進の生活である事を意味するのであらう。新しく生つたものを、神に進める為の物忌み、と言ふ事になるのである。神様の召し上りものが、にへ[#「にへ」に傍線]であることは、前にも言うた通りであるが、同時に
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