禊を行はせられた。かうした御禊は、伊勢の斎宮・加茂の斎院を定められる時も、予めなされる。天子様・斎宮・斎院の御禊は、同一な格式でなされる。平安朝になると、音読してごけい[#「ごけい」に傍線]と言うて居るが、古くは、みそぎ[#「みそぎ」に傍線]と言うて居る。
此所で、少しく、みそぎ[#「みそぎ」に傍線](禊)とはらへ[#「はらへ」に傍線](祓)との区別をいうて見る事にする。
祓へといふのは、穢れ又は、慎しむべき事を冒した場合、又は彼方からして、穢れや慎しむべき事がやつて来て、此方に触れた時に、其を贖ふ為に、自分の持つて居るものを提供して、其穢れを祓ふ事である。神は、此贖ひ物を受けて、其穢れを清めて呉れるのである。元来、祓へは、神事に与る人が、左様にして呉れるから、他動風なものである。自分からするのならはらひ[#「はらひ」に傍線]であるが、はらへ[#「はらへ」に傍線]と他動風に昔からいうて居る。
次に、みそぎ[#「みそぎ」に傍線]といふのは、神事に与る為の用意として、予め、身心を浄めておくことである。家でも、神の来べき時には浄める。謂はゞ、みそぎ[#「みそぎ」に傍線]は、家でも身体でも、神
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