訖《ヲ》へて、還りのぼります時に、肥河の中に黒樔橋《クロキノスバシ》を作り、仮宮を仕へ奉りて、坐《マ》さしめき。こゝに、出雲国造の祖、名は岐比佐都美《キヒサツミ》、青葉[#(ノ)]山を餝《カザ》りて、其河下に立てゝ、大御食献らんとする時に、其子詔りたまひつらく、此川下に、青葉の山なせるは、山と見えて、山にあらず。若《ケタシ》、出雲の石※[#「石+囘」、209−14]《イハクマ》の曾宮《ソノミヤ》に坐す、葦原色許男《アシハラシコヲ》大神を以て斎《イツ》く祝《ハフリ》が、大庭か、と問ひ賜ひき。こゝに、御伴につかはさえたる王等、聞き歓び、見喜びて、御子をば、檳榔《アヂマサ》の長穂の宮に坐《マ》せまつりて、駅使を貢上りき。
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此話は、ほむちわけの[#「ほむちわけの」に傍線]命をして、青葉の山を拵へて、国造の岐比佐都美がお迎へしようとしたのである。即、青葉の山は、尊いお方をお迎へする時の御殿に当るもので、恐らく大嘗祭の青葉の垣と、関係のあるものであらう。かの大嘗祭の垣に、椎の若葉を挿すのも、神迎への様式であらう。尊い天つ神にも、天子様にも、かうするのである。
此、青葉の垣
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