またす」に傍線]と謂ふのであると見て居る。日本紀を見ても、遣又は令といふ字をまたす[#「またす」に傍線]と訓ませて居る。
一体、まつる[#「まつる」に傍線]といふ語には、服従の意味がある。まつらふ[#「まつらふ」に傍線]も同様である。上の者の命令通りに執り行ふことがまつる[#「まつる」に傍線]で、人をしてやらせるのをまたす[#「またす」に傍線]といふ。人に物を奉る事をまたす[#「またす」に傍線]といふのだ、と考へる人もあるが、よくない。人をしてまつらしむる事、此がまたす[#「またす」に傍線]と謂ふのである。させる[#「させる」に傍線]・してやらせる[#「してやらせる」に傍線]、此がまたす[#「またす」に傍線]である。
日本の太古の考へでは、此国の為事は、すべて天つ国の為事を、其まゝ行つて居るのであつて、神事以外には、何もない。此国に行はれる事は、天つ神の命令によつて行つて居るので、つまり、此天つ神の命令を伝へ、又命令どほり執り行うて居る事をば、まつる[#「まつる」に傍線]といふのである。
処が後には、少し意味が変化して、命令通りに執行いたしました、と神に復奏する事をも、まつる[#「まつ
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