な穀物を煮て差し上げる、といふのみの行事ではない。民間には、其物忌みの例が残つて居る。常陸風土記を見ると、祖神《ミオヤガミ》が訪ねて行つて、富士で宿らうとすると、富士の神は、新粟《ワセ》の初嘗《ニヒナメ》で、物忌みに籠つて居るから、お宿は出来ない、と謝絶した。そこで祖神は、筑波岳で宿止《ヤドメ》を乞うた処が、筑波の神は、今夜は新嘗をして居るが、祖神であるから、おとめ申します、といつて、食物を出して、敬拝祇《ツヽシミツカヘ》承つた、とある。此話は、新嘗の夜の、物忌みの事を物語つたものである。此話で見る様に、昔は、新嘗の夜は、神が来たのである。
猶、万葉集巻十四に、
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にほとりの 葛飾早稲《カツシカワセ》をにへ[#「にへ」に傍線]すとも、そのかなしきを、外《ト》に立てめやも
誰ぞ。此|家《ヤ》の戸おそぶる。にふなみ[#「にふなみ」に傍線]に、わが夫《セ》をやりて、斎《イハ》ふ此戸を
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新嘗の夜の、物忌みの有様の見えて居る歌である。此歌などは、もう神の来る事が忘れられて、たゞの男女関係の歌のやうに見えるが、猶、神が来たといふ原義が見えて居る。神の
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