は、前に言うた様に、段々下へ/\と行くからである。かうした人々の事を、御言持《ミコトモチ》といふ。此意味で、天子様も御言持である。即、神の詞を伝達する、といふ意味である。
神の代理をする人は、神と同様で、威力も同様である。譬へば、神ながらの道などいふ語は、天子様の為さるゝ事すべてを、斥して言ふのであつて、決して神道といふ事ではない。天子様は、神ながらの方で、神と同様といふ事である。神ながらは、信仰上の語であつて、道徳上の語ではない。此意味に於て、天子様のお言葉は、即、神の御言葉である。日本の昔の信仰では、みこともち[#「みこともち」に傍線]の思想が、幾つも重なつて行つて、時代が進むと、下の者も上の者も同様だ、と考へて来た。そして鎌倉時代から、下尅上の風も生じた。日本の古来の信仰に、支那の易緯の考へ方を習合させて、下尅上と言うたのである。此話は、幾らしても限りのない事であるが、申さねば、贄祭りのほんとうの意味が知れないから、述べたのである。
古い時代のまつりごと[#「まつりごと」に傍線]は、穀物をよく稔らせる事で、其報告祭がまつり[#「まつり」に傍線]である事は、前にも述べた。此意味に於て、天子様が人を諸国に遣して、穀物がよく出来る様にせしむるのが、食国の政である。処が穀物は、一年に一度稔るのである。其報告をするのは、自ら一年の終りである。即、祭りを行ふ事が、一年の終りを意味する事になる。此報告祭が、一番大切な行事である。此信仰の行事を、大嘗祭《オホムベマツリ》と言ふのである。
此処で考へる事は、大嘗と、新嘗との区別である。新嘗といふのは、毎年、新穀が収穫されてから行はれるのを言ひ、大嘗とは、天子様御一代に、一度行はれるのを言ふのである。処が「嘗」といふ字を宛てたのは、支那に似た行事があつて、それで当てたのである。新嘗の用語例を蒐めて考へて見ると、新穀を召し上るのを、新なめ[#「新なめ」に傍線]とは言へない。なめる[#「なめる」に傍線]といふ事には、召食《メシアガ》るの意味はない。日本紀の古い註を見ると、にはなひ[#「にはなひ」に傍線]といふ事が見えて居る。万葉集にも、にふなみ[#「にふなみ」に傍線]といふ言葉があり、其他にへなみ[#「にへなみ」に傍線]と書かれた処もある。
今でも、庄内地方の百姓の家では、秋の末の或一日だけ、庭で縄を綯《な》ひ、其が済むと、家に這入る
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