る」に傍線]といふ様になつた。古典に用ゐられて居る「祭り」といふ言葉の意味は此で、即御命令によつてとり行ひました処が、かくのごとく出来上りました、と報告する、神事の事を謂ふのである。
まつり[#「まつり」に傍線]は、多くは、言葉によつて行はれる。即、仰せ通りに致しましたら、此様に出来上りました、と言つた風に言ふのである。此処から段々と「申す」といふ意味に変つて来る。そして、復奏する事をも「申す」といふ様になり、其内容も亦、まつる[#「まつる」に傍線]の本義に、近づく様になつて来た。
まをす[#「まをす」に傍線]とは、上の者が理会をして呉れる様に、為向ける事であり、又衷情を訴へて、上の者に、理会と同情とをして貰ひ、自分の願ひを、相手に容れて貰ふ事である。こひまをす[#「こひまをす」に傍線](申請)などいふ語も、此処から出て来たのだ。此様に、大体に於ては「申す」と「まつる」とは、意義は違ふが、内容に於て、似通つた所がある。此点は又、後に言ふ事にする。

     三

日本の天子様は、太古からどういふ意味で、尊位にあらせられるか。古い文献を見ると、天子様は食国《ヲスクニ》のまつりごと[#「まつりごと」に傍線]をして居らせられる事になつて居る。だから天孫は、天つ神の命によつて、此土地へ来られ、其御委任の為事をしに来らせられた御方である。
天子様が、すめらみこと[#「すめらみこと」に傍線]としての為事は、此国の田の生《ナ》り物を、お作りになる事であつた。天つ神のまたし[#「またし」に傍線]をお受けして、降臨なされて、田をお作りになり、秋になるとまつり[#「まつり」に傍線]をして、田の成り物を、天つ神のお目にかける。此が食国《ヲスクニ》のまつりごと[#「まつりごと」に傍線]である。
食《ヲ》すといふのは、食《ク》ふの敬語である。今では、食《ヲ》すを食《ク》ふの古語の様に思うて居るが、さうではない。食国《ヲスクニ》とは、召し上りなされる物を作る国、といふ事である。後の、治《ヲサ》める国といふ考へも、此処から出てゐる。食《ヲ》すから治《ヲサ》める、といふ語が出た事は、疑ひのない事である。天照大神と御同胞でいらせられる処の、月読命の治めて居られる国が、夜の食国《ヲスクニ》といふ事になつて居る。此場合は、神の治《ヲサ》める国の中で、夜のものといふ意味で、食すは、前とは異つた意味で用ゐ
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