献上して了ふといふ祭りである。それで主人或は、目上の人は、元来の自分の魂と、目下が持つて来て奉つた魂とを合せて持つ事になるから、上位の人となる。此行事がやはり、天子様の御代初めに行はれた。其が又、新嘗の如く、毎年繰り返される事になつた。此行事も亦、みたまふり[#「みたまふり」に傍線]の一の意味である。
上述の如く、生きて居る人が、自分の魂の大部分を、長上に奉る事をみつぎ[#「みつぎ」に傍線]といひ、目下が献つた数多の魂と、元来天子様の持つて居られる魂とを一処にして、其を分割して臣下が頂くのをば、みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]といふ。そして、此為の行事即、祭りの事をみたまのふゆ祭り[#「みたまのふゆ祭り」に傍線]といふ。結局冬祭りは、魂分割の祭りで、年の暮には、此魂の切り替へに関する行事が、いろ/\と行はれた。後世になると、年に二度、盆と年の暮れとに行はれた。更に其が、盆と正月とに行はれる事になつた。
元来、冬祭りと秋祭りとは、引続いて一日の中に行はれたのであつたが、漸次分れて来て、秋祭りを十一月、冬祭りを十二月に行ふ様になつた。かうなつて来てからは、十一月に行はれるのをば鎮魂祭といひ、十二月に行はれるのを、普通には御神楽といひ、内侍所の御神楽ともいふ。此二つは共に、鎮魂祭である。十一月の方の祭りは、元来日本にあるみたまふり[#「みたまふり」に傍線]の祭りで、十二月の方のは、後に、宮中へ這入つて来た処の鎮魂《ミタマシヅメ》の祭りである。
天子様に、下から魂を差し上げる時期は、大体に於て、冬の祭りと一定して居つたが、後には、春行はれることになつた。併し、処によると、違つた時期にも差し上げた。此は、国や家によつて、違つてゐるのである。譬へば、出雲の国造家では、国造の代替りには、其年と、其年の翌年と、引続いて二度、京都へ出て来て、天子様に魂を奉る儀式をした。
六
前にも言うた通り、宮廷の鎮魂式には、三通りある。
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一、猿女の鎮魂 鈿女の鎮魂法の事をいふ。高天原伝来のもの。
二、物部の鎮魂 物部氏に伝来されて居る処の石[#(ノ)]上鎮魂法。
三、安曇の鎮魂 奈良朝の少し前、宮廷へ這入つた、と見るべき鎮魂法。
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此三つの中、猿女鎮魂と、石[#(ノ)]上鎮魂とは、合体して了うた。最後に這入つた処の、阿曇《
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