な穀物を煮て差し上げる、といふのみの行事ではない。民間には、其物忌みの例が残つて居る。常陸風土記を見ると、祖神《ミオヤガミ》が訪ねて行つて、富士で宿らうとすると、富士の神は、新粟《ワセ》の初嘗《ニヒナメ》で、物忌みに籠つて居るから、お宿は出来ない、と謝絶した。そこで祖神は、筑波岳で宿止《ヤドメ》を乞うた処が、筑波の神は、今夜は新嘗をして居るが、祖神であるから、おとめ申します、といつて、食物を出して、敬拝祇《ツヽシミツカヘ》承つた、とある。此話は、新嘗の夜の、物忌みの事を物語つたものである。此話で見る様に、昔は、新嘗の夜は、神が来たのである。
猶、万葉集巻十四に、
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にほとりの 葛飾早稲《カツシカワセ》をにへ[#「にへ」に傍線]すとも、そのかなしきを、外《ト》に立てめやも
誰ぞ。此|家《ヤ》の戸おそぶる。にふなみ[#「にふなみ」に傍線]に、わが夫《セ》をやりて、斎《イハ》ふ此戸を
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新嘗の夜の、物忌みの有様の見えて居る歌である。此歌などは、もう神の来る事が忘れられて、たゞの男女関係の歌のやうに見えるが、猶、神が来たといふ原義が見えて居る。神の来たのが、愛人が来るやうに考へられて来たのだ。ところが、この新嘗に似た行事が、まだ他にもある。其は神嘗祭である。そこで、神嘗祭の話に移る。
四
神嘗祭・神今食・相嘗祭、此三つは新嘗祭に似て居る。だから、まづ神嘗祭から話を進めて見る。これは、新嘗祭と相対して行はれた祭りであつて、九月に行はれる。伊勢の神宮に早稲《ワセ》の走穂《ハツホ》を奉る祭りであると考へられて居る。天子様の新嘗に先立つて行はれる。此より前の六月と十二月とにも同様な行事が行はれる。神今食といふのが其である。此神今食を、或人々は「かむいまけ」と読んで、新米を奉るのだとして居るが、十二月の方はともかくも、六月には、まだどの様にしても、新米は出来ないから、此説は同意出来かねる。猶、神今食に奉るものは、早稲の初穂ではなくて、古米を奉るのであらう、と私は考へて居る。
だが、従来、神今食と、神嘗と、新嘗とは、区別が判然して居ない。私は、新米を奉るのと、古米を奉るのとの違ひであらう、と考へて居る。何故かと言ふと、神今食の直前に行はれるのに、月次祭がある。此は、六月と十二月とに行はれる。つまり、一年を二つに分けて、行うたの
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