また」に傍点](全)し[#「し」に傍点]と言ふ語のあることをも述べて置いた。まつる[#「まつる」に傍線]者にして、命じる者の側では、またす[#「またす」に傍線](遣・以・使遣)がある。神の代理者即、御言執行《ミコトモチ》として神言を伝達すると共に、当然伴ふ実効を収めて来る意だ。まつろふ[#「まつろふ」に傍線]が服従の義を持つのは、まつる[#「まつる」に傍線]が命令通りに奉仕する、と言ふ古義がある事を見せてゐるのである。其大部分として、「食国《ヲスクニ》の政」が重く見られてゐた為に、献るの義に傾いたのだ。とりも直さず、神の御食《ミヲ》し物を、神自身のした如く、とり収めて覆奏する事から、転じて、人間の物を神物として供へる、と言ふ用語例になつたものに違ひない。まつる[#「まつる」に傍線]の原義は、やはり、神言を代宣するのであつたらしい。
のる[#「のる」に傍線]と言ふのは、代宣者を神と同格に見て言ふ語であつた。我が国の文献時代には、まつる[#「まつる」に傍線]は既に世の中を自由にする・献る・鎮魂する・定期に来臨する神を待つて楽舞を行ふ、と言つた用語例が出来て居り、神意による公事を行ふと言ふ義
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