は、古伝の詞章の上に固定して残つてゐたのらしい。古い祭事には「まつり」をつけて言はないのが多いのも、まつり[#「まつり」に傍線]の範囲が広かつたからである。私は「待つ・献《マ》つ・兆《マチ》」などから出たものと考へてゐた事もあるが、其等は第二義にも達せぬ遅れたものであつた。「……まつる」と文尾に始終つく処へ、まつろふ[#「まつろふ」に傍線]の聯想が加つて、自卑の語法となつて来たのだ。
八百稲千稲にひき据ゑおきて、秋祭爾奉〔牟止〕…参聚群《マヰウゴナハ》りて…たゝへ詞|竟《ヲ》へまつる……(龍田風神祭)
この「秋祭」は、今言ふ「秋祭り」ではなく、秋の献りものとして奉らむと言ふ意であらう。此などになると、覆奏・奏覧などの義から遠のいて、献上すると言ふ事になつてゐる。かうして、祭りが、幣帛其他の献上物を主とするものゝ様に考へられて来て、まつり[#「まつり」に傍線]・まつりごと[#「まつりごと」に傍線]に区別を考へ、公事の神の照覧に供へる行事を政といひ、献上物をして神慮を和《ナゴ》め、犒《ネギラ》ふ行事としてまつり[#「まつり」に傍線]を考へわけたのではなかつたらうか。
四 夏祭り
平安朝に著
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