ぎないで、山人自身意義も知らなかつたであらう。が「穴師《アナシ》の山の山人」と神楽歌にも見えた大和宮廷時代から伝承したらしい山人は、大和国の国魂であり、長尾[#(ノ)]市[#(ノ)]宿禰が、祭主即、上座神人に任ぜられたのであつた。此は伊勢の大神が常世の神の性格を備へて居るのに対して、山の神である穴師の神に事へた山の神人即、山人の最初の記録である。
水の神でもあつた常世神の性格を移しとつた、山の神は――大和宮廷の伝承をある点まで拡げて行つてよいとしたら――水の神にもなつた。だから、田の神とも自然考へられる様になる。田植ゑに来るまれびと[#「まれびと」に傍線]は、稍久しく村に止つて、村人の植ゑ残した田を夜は植ゑたりもした。五月の夜の籠り居は、神に逢ふ虞れがあつたからである。
神々は、村の田の植わりきつて、村全体としてのさなぶり[#「さなぶり」に傍線]の饗応《アルジ》を供へられた夜に帰るものと考へられたらしく、稍日長く逗留する事が、秋の刈り上げまで居るものゝ様に思はれて行つたらしい。山の神・田の神はおなじもので、時候によつて、居場処が替るだけだと信じられた地方が多かつた。水神――農村の富みを
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