つと落ちついた頃からの事である。其に結びついたのは、在来の夏の禊ぎの行事であつた。川社を設け、八十瀬の祓へを行ひ、夏|神楽《カグラ》を奏する。皆、帰化人将来の祇園信仰が、民間伝承の上に結びついて来てからの事であつた。
其を早めるのには、卜部や陰陽師の手助けが非常にあつた。陰陽師の唱へる祭文と言へば、大祓詞の抜き読みと言つてよい「中臣祓」の外に、殆ど祝詞らしいものゝなくてすむ様になつて行つた。江戸時代の神道者と言へば、唯、禊ぎ祓へばかりを掌つてゐた様に見える。神道を陰陽道によつて神学化し、仏教によつて哲学化した卜部流の力を示してゐるまでゞある。其を嫌うた国学の先輩たちも、仏教臭味を嗅ぎ分けた程には、長く久しい道教のわりこみを、切りほぐす事は出来なかつた。
祭りは、禊ぎに伴ふ夏神楽から出て居る。神楽は鎮魂のために行ふものであつた。禊ぎの後の潔まつた身の内に、外来の威霊を堅く結び止めようとする儀式である。冬の凍る夜に限つた楽舞《アソビ》が、夏にも行はれるやうになつたのである。
三 まつり[#「まつり」に傍線]の語原
今までのところでは、まつり[#「まつり」に傍線]の語原が、あまり説き散されて、よしあしの見さかひもつきかねる程になつてゐる。其中では「祭りは、献《マツ》りだ。政は献《マツ》り事《ゴト》だ」と強調して唱へられた、先師三矢重松博士の考へが、まづ、今までの最上位にあるものである。
まつる[#「まつる」に傍線]と言ふ語が正確に訣らないのは、古代人の考へ癖が呑みこめないからだと思ふ。神の代理者、即、御言実行者《ミコトモチ》の信仰が、まづ知られねばならぬ。にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]は、神考《カブロギ》・神妣《カブロミ》のみこともち[#「みこともち」に傍線]として、天の下に降られた。歴代の天子も、神考《カブロギ》・神妣《カブロミ》に対しては、にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同資格のみこともち[#「みこともち」に傍線]であつた。さうして、天子から行事を委任せられた人々は、皆みこともち[#「みこともち」に傍線]と称せられる。宰の字をみこともち[#「みこともち」に傍線]と訓むのは、其為である。
みこと[#「みこと」に傍線]とは神の発した咒詞又は命令である。みこと[#「みこと」に傍線]を唱へて、実効を挙げるのがもつ[#「もつ」に傍線]である。「伝達する」よりは重い。
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