をさへ、人に憚つて叫び上げたものゝ様に思はれ、我々をも動す強い感激が含まれて居る様にも見える。唯見えるのである。
今日の我々は、背景を知らずに見るから、ばらっど[#「ばらっど」に傍線]としての誇張と、純粋な劇的の構想にうつかりひつかゝつて了ふのである。時代が創作時代・抒情詩時代に入つてゐるのだから、都近くから出たばらっど[#「ばらっど」に傍線]が、如何にも修練と昂奮とで、技巧を突破した作物らしい色を見せる様になつてゐる。殊に中臣宅守に係つた巻第十五の主要部になつた連作の唱和などは、かう言ふ自身すら、疑はしく思ふ程の傑作揃ひである。併し、どうして其等の相聞歌が散逸せなかつたか、即興以外には纔《わづ》かに宴遊の余興に於て、だが、はつ[#「はつ」に傍点]/\好事の漢風移植者たる大伴[#(ノ)]旅人・家持一味の人々の文芸意識を持つての遊戯が見える位に過ぎない時代に、悲しみを叙して、繰りかへし贈答することがあつたとは思はれぬ。
畢竟《ひつきやう》、軽[#(ノ)]太子の哀れな物語や、大国主の円満な恋や、仁徳天皇のねぢれた情史を謡ひ歩いて、万葉まで其形を残した性欲生活の驚異を欲した村の人々の心が、更
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