語るものは祭文というものである。祭文というても江戸、上方のとは異なり、つまり一種の叙事詩である。いまでは叙事詩を語ると、「おしらさま」が昔を思い出して踊りだすと考えているが、「おしらさま」自身が語るのである。「いたこ」はやっているうちに放心状態にはいる。「いたこ」はほとんど、託宣をしない。神がつくのではない。「いたこ」が神をつかっていると、「おしらさま」自身が踊りだす、そんなのをみると、「おしらさま」が家の生活と近くなる。家の中の納戸の隅などに祀ってあって、家のけがれをしじゅう吸収している。そのしるしに、年ごとに一枚ずつ着物を着せてもらい、「いたこ」が廻ってくると遊ばれる。してみると、この「おしらさま」というものは非常に怖れられていることがわかる。「おしらさま」の祀ってある家は旧家だというが、ちょっとのことでも祟りがあるので、非常に迷惑をする。
 考えてみると、けがれているから棄ててしまうということと、雛を飾り子供が弄ぶということの過渡期を示している。けがれをもっているのに、「いたこ」が「おしらさま」をあそばせた後、自分の詞でいう。霊感を主人に伝える。これで形代から人形になる道筋がわか
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