る。この雛を、平安朝の物語でみると、家庭で子供が弄んでいる様子がわかる。おそらく踊らしたのであろう。
 室町になると、「ひひな廻し」が出るが、これが使うのは人形なのである。私は「くぐつまはし」という語は平安朝あたりで亡びていて、室町では既に古典であったと考える。「ひひな廻し」が諸国を歩くということは、ひひなを踊らせながら、祓えを進めてまわるのである。けがれをとって廻るのである。それがだんだん芸術的に変化してきた。その形がごく近代まで残っているのは、淡島願人である。子供の死んだ家で、着物、頭巾、人形など、子供の持っていた物をやったりする特殊な乞食である。これが古い意味の雛の信仰をもって廻った最後の者である。浅草にも淡島堂がある。淡島堂は雛を祭っているというが、そんな証拠は一つもない。雛祭りに、淡島さまに詣る江戸の信仰では、雛祭りと淡島祭りとは一つで、雛祭りの起源だというている。
 淡島は諾冊二尊の間に生まれた二番目の子で、性がわからない。これを流したということから形代の起源と考えているのだろうが、そんなに古いところでなくとも、摂津の住吉明神、紀州加太の淡島神社から出ていると思う。住吉と加
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング