いる。ところが江戸になって非常に盛んに行なわれる語、書物に出はじめたのは鎌倉であるから、武士から出はじめた語であろうが、それに「お伽」という語がある。
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大王深山にして嶺の木の子《み》をひろひ、沢の若菜を摘みて行ひ給ひける程に、一人の梵士出で来て、大王のかくて行ひ給ふこと希代のことなり。御伽[#「御伽」に傍点]仕るべしとて仕へ奉る。 (宝物集第五)
ありつる人のうつり来んほど御伽[#「御伽」に傍点]せんはいかが。」
おぼえ給へらん所々にてものたまへ、こよひ誰も御伽[#「御伽」に傍点]せん。」  (増鏡)
いや一人居やらば伽[#「伽」に傍点]をしてやらう。  (狂言 節分)
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「御伽」ということの意味はわからない。寝ている傍についていて物語をすることらしい。それから宿直のことまでいうようになる。私は、これにはどうしても性欲的な意味がありそうに思う。
 いわゆる、御伽婢子(はひこ→はうこ)というものがある。(本の名にもなった。この書を江戸の怪談小説のはじめとするが、そうではない。)貴い人の寝ている傍についているものである。これは形式である。もと
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