三度目の血書にかゝつた。その経文も穢らはしいといふ一語の下に前栽へ投げ棄てられた。
連夜の不眠に、何うかすると、筆を持つて机に向つたまゝ、目を開いて睡つた。さうした僅かの間にも、妹娘や見も知らぬ処女の姿がわり込んで来る。
四度目の血書を恐る/\さし出したときに、師匠の目はやはり血走つてゐたが、心持ち柔いだ表情が見えて、
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人を恨むぢやないぞ。危い傘飛びの場合を考へて見ろ。若し女の姿が、ちよつとでもそちの目に浮んだが最後、真倒様だ。否でも片羽にならねばならぬ。神宮寺の道心達の修業も、こちとらの修業も理は一つだ。
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写経のことには一言も言ひ及ばなかつた。そして部屋へ下つて、一眠りせいと命じた。経文は膝の上にとりあげられた。執着に堪へぬらしい目は、燃えたち相な血のあとを辿つた。
自身の部屋に帰つて来た身毒は、板間の上へ俯伏しに倒れた。蝉が鳴くかと思うたのは、自身の耳鳴りである。心づくと黒光りのする板間に、鼻血がべつとりと零れてゐた。さうしてゐるうちに、放散してゐた意識が明らかに集中して来ると、師匠の心持ちが我心に流れ込む様に感ぜられて来る。あれだ
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