疲れると屡《ヨク》若い能芸人の背に寝入つた。さうして交る番に皆の背から背へ移つて行つた。時をり、うす目をあけて処々の山や川の景色を眺めてゐた。ある処では青草山を点綴して、躑躅の花が燃えてゐた。ある処は、広い河原に幾筋となく水が分れて、名も知らぬ鳥が無数に飛んでゐたりした。さういふ景色と一つに、模糊とした羅衣《ウスギヌ》をかづいた記憶のうちに、父の姿の見えなくなつた、夜の有様も交つてゐた。
その晩は、更けて月が上《ノボ》つた。身毒は夜|中《ナカ》にふと目を醒ました。見ると、信吉法師が彼の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。
――おまへにはまだ分るまいがね」といふ言葉を前提に、彼《カ》れこれ小半時も、頑是のない耳を相手に、滞り勝ちな涙声で話してゐたが、大抵は覚えてゐない。此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片《ハシ》の様にも思はれ出した。唯この前提が、その時、少しばかり目醒めかけてゐた反抗心を唆つたので、はつきりと頭に印せられたのである。その時五十を少し出てゐた父親の顔には、二月ほど前から気味わるいむくみが来てゐた。父親が姿を匿す前の晩に着いた、奈良はづれの宿院の風呂の上り場で見た、父の背
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