風土記の類を通じて、用ゐられてゐる同語にして、同じ用語例に入れては、解けないものが多く存在する。此は、今日の言葉に就ても、言はれる事であらうと思ふが、其が典型的な語義である、と予断されてゐる以外に、もつと違つた形のある事が、忘れられてゐはすまいか。若しそんな事実がないと思ふならば、其は余りに、前代の学者の解釈にたより過ぎて、当然せねばならぬ研究を、十分にしてゐない為ではあるまいか。此だけは、どなたの前に立つても、私の言ひ得ることあげ[#「ことあげ」に傍線]である。
次田潤さんも、あの「祝詞新講」を公にされるまでには、随分苦しまれたであらうと思ふが、実際に古い言葉を現代語に引き直して見ると、つく/″\困難を感ずる。尤、一通りの解釈は誰にでもつくが、本当に深く考へ出すと、訣らない事が多い。思ふに此は、口伝への間に変化したもので、各時代、各個人の解釈で、類型的の意味に於ての語義の、次第に其形が改められて行つた結果であらう。
前に言うた「天之御蔭・日之御蔭」の語でも、家の屋根とも解せられるが、又万葉巻一の人麻呂の詠らしい「藤原宮御井歌」を見ると、天日の影をうつす水とも取れるし、其外尚色々の意味
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