でも云ふ様になつた。そこで最初は、良い酒が出来るやうに、と祝福する詞が同時に、飲用者の健康を祝福する意味を兼ねる事にもなり、更に転じては又、旅から戻つた者の疲労を癒し、又病気の治癒を目的として、酒を飲むといふ事にもなつた。つまり此も、論理の堂々廻りである。かういふ風で祝詞には、祝福の意味と共に、感謝と讃美との意味が、常に伴うてゐるのである。
かくの如く、昔の日本人が、すべての事を聯想的に見た事は、又、譬喩的に物を見させる事でもあつた。「天の御柱をみたて」るといふ事などは、私は、現実に柱を建てたのではなく、あるものを柱と見立てゝ、祝福したのであると見たい。淡島を腹として国生みをする、といふ事も、昔から難解の句とせられてゐて、或学者は、此を「長男として」の義に解したが、誤りである。国を生むには、生むべき腹がなければならぬ。そこで、其腹を淡島に見立てられて、国を生ませられたのである。即、此も一種の「見立て」思想なのである。
この「見立て」の考へは、祝詞の考へ・新室のほかひ[#「新室のほかひ」に傍線]の考へ・大殿ほかひ[#「大殿ほかひ」に傍線]の考へと、互ひに聯関してゐるものであつて、殊に其中
前へ 次へ
全40ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング