であつて、つまり、魂を衣につけて分配するのである。

     六

以上述べたやうに、日本人は一つの行為によつて、其に関聯した幾多の事実を同時に行ひ、考へる、といふ風がある。即、家のほかひ[#「ほかひ」に傍線]をする事は、同時に主人の齢をことほぐ[#「ことほぐ」に傍線]事であり、同時に又、土地の魂を鎮める所以でもある。かういふ関係から、日本の昔の文章には、一篇の文章の中に、同時に三つも四つもの意味が、兼ねて表現されてゐる。ちよつと見ると、ある一つの事を表現してゐる様でも、其論理をたぐつて行くと、譬喩的に幾つもの表現が、連続して表されてゐる事を発見する。しかも、作者としては、さうした多数の発想を同時に、且直接にしてゐるのであつて、其間に主属の関係を認めてゐない。此が抑、八心思兼神の現れる理由である。思兼神とは沢山の心を兼ねて、思ふ心を完全に表現する、祝詞を案出する神である。つまり、祝詞の神の純化したものである。かういふ風に、日本の古い文章では、表現は一つであつても、其表現の目的及び効力は複数的で、同時に全体的なのである。
処が、わが古典を基礎にした研究者なる、神道家の大部分又は、其西洋
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